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現代的デザインと伝統的手工芸の融合を体現しているナニ・マルキナのラグは、今や世界中の家庭で受け入れられている。このサクセス・ストーリーの主役は、企業、企業家、のダブルキャストだと言える。

 

ナニ・マルキナにとって、彼女の会社は、彼女自身の延長であり、クリエーターである彼女の探究心、デザインを媒体とした改革の欲求、経験、情熱等を映す鏡でもある。彼女と彼女の会社は約25年間にわたり共に歩んできた。そして今では互いのDNAが絡み合い、両者を引き離すことが不可能であるほどに強く結びついている。彼女の人生も会社の人生も、しばしば逆風に向かって進みながらここまで来たのである。

ナニ・マルキナの父親、ラファエル・マルキナは、デザイナーで建築家であった。その父から受け継いだ傑出した創造性は、彼女を工業デザインの勉強へと駆り立てた。その頃、1970年代のスペインではまだ工業デザインという分野はあまり知られていなかった。彼女が手がけた初期の仕事の多くは、プリント生地に関するものだった。当時、家具や装飾小物等、他の多くの分野では現代アートは盛んに取り入れられていた、彼女はそれをテキスタイルの世界にも組み入れた。インテリアは時代の流れと共に現代的なデザインを採用していたが、その中ではラグは変化が乏しく、デザインや色彩は伝統的ペルシャ絨毯の流れを汲むクラシックなものに限られていた。スペイン国内にも、また国外にも、「まだ誰にも占められていない隙間があったのです」と彼女は言う。この現実を認識するにつけ、彼女の中に新しい探究心、つまり、この欠乏に対する答えを出したいという願望が生まれた。こうして1987年、ナニ・マルキナは企業という織物を紡ぎ始めた。「初めはたった3種類の製品から始めました。起業、という意識はありませんでいた。私にはデザイナーとしての考え方しかなかったので、会社経営を担当する誰かを探さなければなりませんでした」とナニ・マルキナは回想する。そして、初めてのチャンスは、幾何学的なモチーフと鮮やかな色彩のラグ、というナニの型破りなアイディアの可能性に賭け、ラグの製造を行ったTapicerías Gancedo社との協力がもたらしたものであった。

 

会社としてのナニ・マルキナ

ナニ・マルキナの最初の製品も、デザイナーズ・ラグというコンセプトも、すぐに市場で成功を収めた。それに伴い、彼女は積極的により大きい舞台を求めるようになった。彼女は自分自身が「革命」を続けることを決意し、素材や製造工程の研究を重ねた。その結果、製品カタログには、マリスカル(Mariscal)、ペレ(Peret) エドゥアル・サムソ(Eduard Samsó)といった有名デザイナーの手による新製品が次々に加わった。その後、コレクション、というアイディアが生まれた。すなわち、様々なサイズや色を揃えたラグを作り、シリーズ化する、というものである。しかし、彼女の製品コンセプトが意欲的で革新的であればあるほど、その溢れる創造性を形にすることが可能なメーカーを見つけることが困難になってきた。彼女曰く、これは彼女が企業家としてビジョンに欠けていた、という事と並んで、会社の創設期における大きな問題であったのである。

ナニ・マルキナ自身が振り返る。「私が本当の意味で『会社経営』という認識を持ち始めたのは90年代初め、バルセロナ・オリンピック後のスペインが、そして特に会社のあるバルセロナが直面した、深刻な経済危機の頃でした。たまたま会社の状況が悪いときに、次に打つ手を考えているとします。従業員、納入業者など、多くの人を巻き込んでいる以上、そこには先見性や責任も求められるのです。」タオルを投げ、仕事を辞めることも頭をよぎったが、「私がこの仕事をしているのは、私自身がやりたいから、好きだからなのだ、と気付きました」と言う。そしてそれは、自分のデザインやマーケティングに自身を持っているからでもあった。とは言え、会社が困難な状況にあったことは確かであった。彼女曰く、「経験から学ぶ、ということはつまり、打ちのめされることによって学ぶ、ということ。実際に私はそれを経験したのです。」

それ以来、会社は本当の意味での戦略を取り入れるようになった。この新しい局面での最初の画期的な決断は、ラグをインドで伝統的手法に基づいて製造する、ということである。1993年のことであった。「ホテル・アーツ・バルセロナ(Hotel Arts de Barcelona)で使うラグの受注がありました。それは苦境にある私達にとってはお恵みのようにありがたいものでした。でも、私達が納得できる仕事をしようとしたがために、納入業者とぶつかることになり、私達は苦境に立たされたのです。」と彼女は言う。この経験が、彼女にデリーの北部、パニパットへの最初の旅行を急がせることになった。パニパットの伝統工芸の素晴らしさをナニは聞いていたのである。「私にとって、そこはまるで天国のようでした。パ二パットにはデザイナーが求める得る最上のものがありました。そこではデザイナーとしての希望がすべてかなえられるのです。スペイン国内では、私達は何度となく限界という壁にぶつかりましたが、その壁を超えて手工芸とつながりが出来たときに、会社の夢はすべて変わったのです。つまりそれは、最高のデザインと最高の品質を提供することなのです。」と彼女は強調した。これらの要因が結びついたことによって、それは実現可能になった。その上、市場における製品価格が上昇し、結果として商業マージンが拡大した。

 

転換期

インドでの生産を始めたことがターニングポイントとなり、彼女のブランドの海外での評価は大きく変わった。「それまではドイツ、イタリア、フランスに少し輸出していた程度でした。でも、より優れた製品を出すようになってからは、競争力がついたのです。以前はデザインをして、それをラグにあてはめていたのですが、インドでの生産を始めてからは、デザイン・ラグを製造するようになりました。これは大きな違いなのです。」

ナニ・マルキナの回想によれば、長年の間、輸出にあたって重要とされていたのは、文字通りの販売戦略よりもむしろ製品の質(ウール、ジュート、木綿、絹のような自然素材で作られる100%ハンドメイドのラグ)であった。彼女の会社は、パリ、ミラノ、フランクフルト等で開催されるインテリア、装飾関連の国際見本市にたびたび参加していたが(多くの場合ICEXを通じての参加であった)、これが当時の受注のかなりの部分に結びついていた。

海外との結びつきを強固なものにするために、「私たちは販売会社を探しました。それはバルセロナに拠点を置く家具会社だったのですが、すでに販売組織を持っていて、その販売ルートを活用することにしたのです。」この協力体制は、すぐに実を結び、売上の増加により「プロモーション、カタログ、広告宣伝により多くの投資をすること」が可能になった。ついに5年後の2002年、すでにブランドとして高い評価を得ていたナニ・マルキナは、自ら販売の「手綱」を握る決心をした。「そのための準備は既に出来ていました。スタッフも増え、独占契約での仕事も増え、会社組織もより確かなものになっていたのです。」とナニは言う。今や同社は生産の75%を輸出している。

 

ビッグネームとビッグプロジェクト

ナニ・マルキナのコレクションで、多くのデザイナーがその創造性を発揮してきた。スペイン国内では、オスカル・トゥスケッツ(Óscar Tusquets)、アナ・ミル(Ana Mir) マルティン・アスア(Martín Azúa) リカルド・フェレ(Ricard Ferré)等、国外ではロン・アラッド(Ron Arad)、ブルレック兄弟 (Bouroullec) マイケル・リン(Michael Lin)等で、その数は年々増え続けている。それに伴い、同社のブランドの海外での評価はより大きなものになってきた。 

多くのビッグプロジェクトへの参加も、これに貢献した。一例は、ジュネーブの国連事務局にある人権理事会本会議場と「文明の同盟」会議室のリニューアルで、これは造形芸術家ミケル・バルセロ(Miquel Barceló)と建築家トニ・エステバ(Toni Esteva)の手によるプロジェクトへの参加であった。他にも、パリのポンピドー・センターで開催された、建築家・デザイナー、ロン・アラッド(Ron Arad) 展、また、ロン・アラッド(Ron Arad)、ハビエル・マリスカル(Javier Mariscal)、フェルナンド・サラス(Fernando Salas)の各氏がそれぞれ異なるフロアをデザインしたマドリードのホテル・プエルタ・デ・アメリカ(Hotel Puerta de América)でのプロジェクト等があげられる。ナニ・マルキナによれば、これらの経験は、ラグの世界で25年にわたって得た知識と共に、会社の信用保証にもなっており、大変役に立っているという。

「私達には困難な仕事でも任せることができると知って、お客様は私達に依頼してくれるのです。実際、私達はどんな仕事でもやり遂げてきました。私達は多くのプロジェクトに関わり、それらのひとつひとつを大事に扱ってきたのです。私達は、顧客が望むような柔軟な個別対応をしてきました。」そして、プロジェクトへの参加を通しての受注、というビジネス方式を発展させてきた結果、今ではこれが会社の売り上げの10%を占めるまでになっている。

 

新しい挑戦を紡ぎながら

2005年スペイン・デザイン賞(Premio Nacional de Diseño)2006年国際女性企業家財団賞(Premio FIDEM a la Mujer Emprendedora)など、数々の賞を獲得しながらも、ナニ・マルキナは企業家、デザイナーという二つの顔での挑戦を続けている。素晴らしい伝統的手工芸の製法に支えられ、会社はモロッコ、パキスタン等他の国々での生産にも踏み切った。「他の人がまねできない領域に達しました」と彼女は言う。そして、「もし上手くいけば」と断った上で、20124月には立ち上げる予定の新しいプロジェクトについても語ってくれた。それは家具に関するものである。「私達はこのブロジェクトを、ラグ作りと同じ哲学を元にカメルーンの職人と共に現地ですすめているのですが、これはラグ以上に難しくて、冒険をしている気分です。この計画には有名デザイナーの参加も予定されています。」詳しいことは4月までおあずけ、として、「もしすぺて順調にいけば、だけどね」とも付け加えた。

そして、もう一つ、彼女には別の挑戦がある。それは米国市場への進出である。会社は最近、ニューヨークに事務所をオープンさせた。「スペイン国内では、今はこれ以上するべきことが無いのです。私達は、より大きい市場に投資するつもりです。私達は今、アメリカのデザイナーによるラグ作りの計画を立てています。彼らと私達の好みは違うので、理解しあうのは難しいですが、こうすることが私達のビジネスにとって良いことだと思い、今は勉強中、といったところです。」

ナニ・マルキナが語る夢は、我々にも希望を与えてくれる。その夢は、ニューヨークに店をオープンさせることである。「ニューヨークに出店するということは、そのブランドが世界のブランドとしての地位を固める、ということです」と彼女は言う。2009年に開店し、現在のところ唯一の直営店であるルセロナ店がその実験台になっている。「この店は700m2もあるので、かなりの投資が必要でしたが、結果は素晴らしいものでした。」と彼女は断言する。というのも、経済危機の始まりとともに落ち込んだ分の売上を、この店の売上がカバーしたからである。「もし私達の会社が大企業であるなら、世界中で同じことをするぺきででしょうね。でも、私達にはまだそこまでの力はありません。失敗する可能性があることは、十分に検討すぺきでしょう。」

もしかしたら、会社の経営に既に加わっている彼女の娘がこの挑戦を引き継ぐことになるかもしれない。

「私は一度も売却、という考えを持ったことはありません。なぜならこの会社は私自身が心を込めて作り上げたものであり、そして今後もこのまま続いていって欲しいと思っているものなのです。」砂漠の遊牧民が家をつくるときは、ラグから始めるという。ナニ・マルキナがビジネスにおいて同じ事を行ったのは言うまでもない。

 

取材:CHARO ALONSO

 

業種

ラグのデザイン、製造、販売

設立

従業員数

1987

20

2010年売上

257

輸出比率

75%

本社

C/ Església, 10 - 3ºD
08024 Barcelona

電話

932 376 465

ファックス

932 175 774

Eメール

info@nanimarquina.com

Webサイト

www.nanimarquina.com

 

El Exportador 2011年11月号より

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